龍馬包丁

包丁
* *

 

*
龍馬包丁
坂本龍馬はかなりの愛刀家としても有名で、彼が残した手紙約140通の中には14本もの刀が登場する。
龍馬の愛刀で有名なものには暗殺された際、所持していた陸奥守吉行、脱藩の際、姉栄より贈られたと言われる肥前忠広等、数多くある。
しかしその中でも、龍馬と同じ時代に生き、同じ町で作刀に励み、歴代の土佐刀匠の中で最も優れた技術を持つといわれる『左行秀』を知る人は少ないであろう。
左行秀の卓越した技法はその後、多くの弟子に受け継がれ、明治の帯刀禁止令を契機に、刀から包丁に姿を変え、その技は幕末から平成へと連綿と伝えられていた。
現在、土佐鍛治の中で唯一『左行秀』の技法を継ぐ鍛治師に限定して鍛えられた龍馬包丁。
その日本刀を思わせる鋭い切れ味と昔ながらの風貌は、匠の伝承の証である。
*
*


文化10年(1813年)11月25日生まれ。
安政3年当時の土佐藩主山内家にかかえられ、土佐藩御用鍛治としてその腕を存分にふるった。
土佐での作刀の地として、高知城下、龍馬の生家より5分ほどの場所に鍛治場をかまえ、龍馬の兄権平とも親しい間柄だったとも言われている。
その縁あってか、兄権平は嘉永元年(1848年)に左行秀に作刀を依頼し、その刀は、権平から龍馬へと渡され、その後龍馬から親しい友人の甲藤馬太郎へと譲り渡されたとも言われている。
行秀の作風は、幅広く豪壮な姿でありながら優美にして潔白、新々刀工中、その華麗さは随一である。
当時、幕末の志士、土佐勤王党など多くの人々の依頼を受け作刀に励んだ。
中でも行秀に作刀を命じた土佐藩主山内容堂はその作品を今様の「正宗」なりと絶賛したと言われている。